第43回日本呼吸器内視鏡学会学術集会
					The 43rd Annual Meeting of the Japan Society for Respiratory Endoscopy

ご挨拶

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第43回日本呼吸器内視鏡学会学術集会
会長 大崎 能伸
旭川医科大学病院 呼吸器センター教授

第43回日本呼吸器内視鏡学会学術集会会長を拝命し、2020年6月26日(金)、27日(土)に旭川文化会館と星野リゾートOMO7(旧旭川グランドホテル)において開催させていただくことになり、とても光栄に思っています。皆様にご不便をおかけしないように準備を進めているところです。日本呼吸器内視鏡学会学術集会の北海道での開催は、札幌市での鈴木 明先生、阿部 庄作先生に次いで3回目となります。18年ぶりの北海道での開催で、旭川市ではもちろん初めてです。

旭川市は仙台以北では札幌市に次いで2番目に人口が多い都市で、現在は34万人ほどの人口があります。北海道の中では比較的歴史の古い都市で、1890年に旭川村、永山村、神居村が設置され、翌年から屯田兵が入植しました。19世紀末には、旭川に離宮を設置して北京とする計画があり、上川神社には上川離宮予定地の標識が今も立っています。神楽、神楽岡、御料などの地名があるのはこの名残と思われます。1901年には札幌から大日本帝国陸軍第七師団が札幌から移駐して、北方警備の拠点としての旭川市の新たな歴史が始まりました。

第七師団は明治天皇がお呼びになられたことから「だいしちしだん」が正式な名称です。第七師団は陸軍最強の部隊として知られ、多くの激戦地に出撃しています。日露戦争では、旅順攻略戦・奉天会戦に参加し、多くの戦死者を出しながら203高地を占領しました。1917年から2年間は満州に駐屯し、シベリア出兵に参加しました。1939年のノモンハン事件では、師団の一部が出動しソ連軍と交戦し、師団主力も増援部隊として逐次動員されました。第7師団は北辺の守りを担う重要師団であることから、翌1940年に北海道に帰還し、第7師団本体は1940年に天皇直属隷下に置かれた以後、「動かざる師団」として北海道に在り続けました。1942年には一木支隊がミッドウェー島占領部隊からガダルカナル島に派遣されて、多大な損害を被りました。また、北海支隊が編成されてアッツ島へ派遣され、アッツ島の戦いに参戦しました。北海支隊の一部は、アッツ島からキスカ島に転戦したのち「奇跡の作戦」で撤退しています。第七師団は北鎮部隊と呼ばれ、旭川市の自衛隊第二師団駐屯地に開設されている北鎮記念館でその激戦の歴史に触れることができます。

時代は平成から令和へと移り、私たちの周りにある技術が大きく変化してきました。また、その変化も早く、私たちの生活もどんどん変貌しています。これらの進歩に対する我が国の貢献も大きく、日本の技術が世界の人々の生活の向上を支えている部分も多いと思われます。呼吸器内視鏡の分野も例外ではなく、映像装置の進化、画像解析技術の進歩が安全で確実な医療技術の発展に直結しています。これらの技術を理解して、安全に理論的に機器を使用して高度な医療を展開することが求められています。本学会が、医療現場に導入されている新たな医療技術を十分に理解して、未来の医療について想像することができるような学術集会になることを願って、本学術集会のテーマを「内視鏡で診る未来」といたしました。

江戸時代から明治への変換期、その後の激動の明治、大正、昭和に自らを犠牲にして我が国を守った多くの人々が暮らした旭川市から、命を救う医療技術の発展を未来に向けて発信できることを願っています。

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